とうとう連休も終わり。
今年もいろいろとありました。
しかし過ぎてしまえば、あっという間です。
なんだか悲しいね。
小説をずっと読んでます。
やっと4巻目。
半分だ。
面白いからつい手が出ちゃうというとこかな。
今日は落語の音源をなんとかダウンロードできないかと苦しみました。
自分の落語をネットにのせるというのはどういうもんなのかな。
ストリーミングだけじゃつまんないし…。
まあ、やってみるかという感じ。
結論。かなり苦労しました。
最初に見つけたプラグインは不具合だらけ。
2つ目のは、すごくよかったな。
なんとか完成しました。
とりあえず20ばかりアップしてみたよ。
もう無手勝流です。
なんでもあり。
やらないより、やった方が楽しい。
つまりそういう気分なのだ。
明日からまた仕事。
今月から高校へも行くし、さてどうなるのやら。
やっとあったかくなってきたので、体調もよろしいです。
若さをもらってぼちぼちとやるっきゃないのかな。
そんな5月の連休明けなのだ。
百年目という有名な落語の中に、「旦那」の語源についての話が出てきます。
いつかやってみたい噺のひとつですけど…。
さて解題…。
こんな台詞が続きます。
旦那の語源は天竺に“しゃくせんだん(赤栴檀)という木があり、その根元に“なんえんそう(難莚草)”という草が生えているそうだ。
難莚草を取り除くと赤栴檀は枯れ、難莚草は赤栴檀の露を受けて生を営んだとか。
両者の文字を取った“だんなん”が旦那の語源だそうな。
両者は持ちつ持たれつの関係にあったわけだ。
言い換えれば主人の私が赤栴檀で番頭さんが難莚草ということです。
番頭さんの働きに私はいつも感謝しているんですよ。
失礼ながら昨夜、お店の帳簿を調べさせていただきました。
だが何の不審もありませんでした。
すべて番頭さんの甲斐性と分かって改めて見直しました。
これからもよろしくお願いしますよ。
主人に隠れて遊んでいたことが露見して、びくびくしている番頭を上手に諫める情景です。
旦那の持つ器量の大きさを示す最大のシーンなのです。
ここがうまくできないと、この噺は死んでしまいます。
とても難しいところです。
ぼくは今までこれが語源だと信じていました。
ところが今日の新聞に旦那は「ドナー」から来たと書いてありました。
まさに与えるという意味です。
自分の大切なものを他人に与えること。
宗教で言う喜捨のことです。
人に喜んでいただけるくらいのことができないようでは、旦那にはなれないんですね。
なるほど、生きていくのは誠にややこしやだな。
桜を眺めながら知恩院から円山公園までのぼっていくと、実に心地がいい。
ちょっと足をのばして、清水寺の方まで、尾根歩きです。
今年は公園の脇にある長楽館の前で、しばらく佇んでしまいました。
なんともいえない風情だな。
日本の煙草王、村井吉兵衛が私財を投じて建てたという迎賓館があります。
1909年に竣工した別邸で、京都市の指定有形文化財です。
現在はホテルでもあり、アフターヌーン・ティーをいただく場所としても有名です。
まさにヨーロッパ風の建築そのもの。
入り口にメニューなどがちょっとだけ書いてありました。
お値段も大変によろしい。
しばらく休もうかということにもなりましたが、もう少し先まで足を伸ばそうということで、またの機会ということに…。
次回、京都へ行った時は赴く予定にしています。
宿泊もできますが、駅の近くを好むぼくとしては、今一歩というところ。
しかし評判はすこぶるよろしいようです。
京都は実に奥が深い。
そういう場所として、いつまでもあり続けてほしいものです。