新老人の発想

 今日もぼんやり。
 いくらか気温が低いものの、湿気はたっぷり。
 朝からソファーに横たわり、うつらうつら。
 困ったもんです。
 もうどうにもならん。

 今日は五木寛之の『新老人の発想』。
 昨今はこんなのばっかりだね。
 この前は『下山の思想』でした。
 かつて青年は荒野をめざすと呟いていた彼も80才を超えたとか。
 なんてことだ。

 『親鸞』読みましたよ。何冊あったかな。
 でも途中から、飽きちゃった。
 大活劇に過ぎますね。
 あんなもんじゃないでしょ。
 とはいえ、売れてるらしい。
 今日はそっちではなく、ひたすら老人は荒野をめざすの話です。

 70才から80才あたりになっても、なかな死なない。
 いや、死ねないのか。
 お浄土へのお迎えがくると言ってた時代はよかった。
 今は永遠の虚無が待ってるだけです。
 
 100才以上の8割は寝たきりで、その介護費用は天文学的なものになるのだとか。
 これから先、この国はどうなるのかなあ。
 老人ばかりがうようよしてて、若い者がいない。
 そういうとこになるんでしょ。
 それと目に見えない放射能との戦いかな。

 半減期までいったい何年かかるのか。
 どこに捨てりゃいいのか。
 国立競技場ですら、あのテイタラクだからね。
 捨てる場所なんて、当分決められないでしょ。
 海の水はどうなっていくのか。
 まるで緩慢なる自殺の旅を続ける門付け芸人みたいなもんか。

 80才になったら8つの病気を持つのだそうです。
 検査するたびに病気の数がどんどん増える。
 もう一つ介護のこと。
 さらに経済力。つまりお金。
 この3つが死ぬまで、我々にはずっとつきまとうということです。
 おそるべき現実に、ただ右往左往するのみだな。
 情けないけど、これが全てだということです。
 ああ、老人はただひたすら荒野をめざす…。

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