昨日に引き続いて、今日も読みました。
とにかく引き込まれてしまうのだ。
2つの系統の話が交互にでてくるというのは昨日、書きました。
一つは仇討ちなんですが、こちらはなかなかこんにちとなってはやりにくいね。
圓生師なぞがここいらを省こうとしたのもよくわかります。
お露と新三郞の話に特化した方が、ストーリーとしてはよくさばけます。
もちろん、孝助の仇討ちも悪くはないけれど、今日となってはちと古くさい。
いい話ではありますけどね。
そこでだ。これを大胆に構成し直して、残りをおみねと伴蔵の方へもっていくのがやはりいいと思いますね。
つまり圓生師がやったようなのが、一番自然でしょう。
小朝師はお札はがしまでをくっつけて40分くらいで口演してますけど、ちょっと勿体ない。
せめて、30分づつくらいで、2つの話を構成したらどうでしょう。
後半の栗橋宿のところからはさてどうしたものか。
前半だけで、十分に楽しめる内容になると思います。
おみねを殺すところはあまりにも残忍です。
しかし、その前に夫婦でいろいろとやりとりをするところは、味わいに富んでおります。
ところがこれをやると、結局仇討ちにストーリーが飲み込まれるので、さてどうしたものか。
どこかでやるとしたら、やっぱり前半だけですかね。
それも2つに分けずにやるか。
このあたりは少し夏の間に考えてみたいもんです。
それだけの面白さをもった作品です。
しかし20代に中国の小説をヒントにして、この話をこしらえたというんだから、圓朝という人はすごい人です。
読み物としても十分によく出来ている。
しみじみと感心しました。
少しストーリーがうまくできすぎているところもありますが、それはそれということにして…。
偶然が見事だと、今じゃなかなか信用されませんしね。
まあ、とにかくこれからの研究課題にする予定です。
乞うご期待というところかな。
今日はいろいろとありました。
その話はまたいずれ…。