満開の花の下を

Diary

歩きました。その名もさくら通り。みごとです。美術館の通りにも行きました。あまりに美しい。今日はそれにあったかかった。というか暑かった。
桜というのは本当に日本人の心にぴったりとくる花だなあ。こんなの他にないんじゃないですか。
咲いたと思ったら、もう次は散ることを考えてる。こういう気分がおそらく日本人にぴったりくるんでしょう。一言でいえば、くどくない。ごくあっさりとした諦めの気持ちを表現している。粋だよ。
無常という表現にいちばんしっくりとくる花じゃないのかな。散華という言葉もあります。これもいい。桜をうたった歌は実にたくさんある。花の色は…、なんていう例のやつなんか、かなり有名なんじゃないかしらん。
願わくば花の下にて春死なんその如月の望月のころ、なんていう西行のうたに出てくる桜は山桜だそうですけど、これもいい。
清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひあふ人みな美しき、などという与謝野晶子の歌では桜月夜という新しくこのためにつくった言葉がこれまたみごとです。
いにしへのならのみやこの八重桜 けふ九重ににほひぬるかな、は奈良の風景にあうね。ちなみに九重というのは宮中のことなんです。
ああ、どれもこれも桜のうただ。ほんとに人を狂わせる花だよ。酒なくてなんの己が桜かな。
明日もまた花の下を歩くぞ。そして狂っちゃうのだ。

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